<文芸同人誌「澪」第12号。表紙写真:鈴木清美。題字:加賀山義子>
  ここでは、文芸誌「澪」第12号(横浜市)のドキュメント記事の概要を説明しよう。
 本誌は、すでに日本のリトルマガジン的な性質を持ち始めている。注目すべきその一部を紹介する。
【「大池こども自然公園生態系レポート3植物編」鈴木清美】
 横浜市旭区にある溜池「大池」の生態系の筆者の写真付きレポートである。石渡均編集長が、鎌倉時代からの大池の歴史を序文にしている。なかで、カメラマンでもある筆者が、「やまゆり」や「きんらん」などの貴重植種の盗掘の現場を撮影している。
 さらに特筆すべきは、東電福島第一原発による放射性物質の飛散の影響が、ここでも読みとれることである。「むらさきつゆくさ」は、通常は紫色の花を咲かすのだが、放射能に被ばくに敏感に反応し、突然変異によって「ピンク色」になることを、「むらさきつゆ草の会」で知った作者は、生活道路を観察していたところ、藤沢市と平塚市でみつけたというのだ。
 このことは、放射能汚染の洗礼を福島から遠い地区でも受けているということである。それは東日本大震災による福島県の瓦礫を受け入れたような日本の地域も同じである。したがって、どの地域でも、福島の避難民と同じであること、それをもって差別することは無意味であることを意味している。それは都内でも同じであろう。いずれにしても、本レポートはダイナミックに日本の現状を伝えている。
 また、同時掲載の【「映画評・カツライス・アゲイン!『ある殺し屋』」石渡均】は、森一生監督、市川雷蔵主演の大映映画の解説をしながら、映画芸術論と文学芸術論を組み込みながら、市川雷蔵の映画論などを取り上げ、面白く読ませる啓蒙評論の秀作である。
 なかでも、シーンと時制の組み合わせに映画が苦心する話があり、文学作品の表現と比較している。映画に限らず、コミック漫画でも、必ずシーンから始まる。舞台劇もそうであるが、それと小説における時制、つまり、描かれたシーンがどの時点でのものかということを分かりやすく示す技術が重要になってくる。生前の伊藤桂一氏は、小説の時制について、話を「大過去」「中過去」「小過去」に分類し、その並べ方を詳しく説いていたものだ。
 そういうものに興味がなくても、小説らしきものは書けるが、精密な芸術性を持たせるためには、その知識は必要であろう。それが映画でも工夫のしどころというのは、興味深いところだ。
文芸同志会通信