【「春が来た春が来た」衛藤潤】
 文学的な工夫がなされた作品である。語り手は、「私」や「僕」と「彼」といった人称を一切使わない。もうひとつの工夫は、飼っているメダカの世話の詳細である。物事を詳しく語ることは面白いに通じる。話はフクちゃん(女性)からメダカの飼い方を教わって、飼い始めたメダカの様子と、その心理が述べられる。そして、フクちゃんと別れるまでの物語。もう少し、話が盛り上がる仕掛けがあれば、とも思うが、短編なのでやむをえないか。面白く、文学性を発揮しているように読めた。


【「自分じゃないジブン」片瀬平太】
 これは、現代のティーンネイジャーからヤング世代、いわゆるギャルの女性の手記という形式で、乱れた生活と、それを他人のように眺める自意識を語る。彼女らの世代の用語の翻訳的解説があるのが、現代人が技術の進歩の段階で、文化的な分断ができていることを示すことで、興味深い。
【「リレーエッセイ・わたしだけのYOKOHAMA-第3回大倉山界隈(港北区)」鈴木容子】
 地元である街を散策する会があって、そのメンバーとして、街歩きをしたポイントとしての歴史的な経過がわかる。散策の会のメンバーはほとんどなくなってしまったという。自分の若い頃の昔、鶴見川を渡って、日立製作所の工業専門学校に通う友達がいたので、台風の季節になると、氾濫し渡れなくなる話をよく聞かされたものだ。今は、遊水地ができて洪水にならなくなったようだ。

 

【緊急報告「羽田低空飛行路の悪夢」(1)柏山隆基】
 自分は、大田区のほとんど神奈川寄りに住んでいる。当初は、自分の区域の頭上のことなので、まず区議会議員に対応策を聴いた。すると、これは地域の政治問題ではなく、都議会でも問題解決能力はなく、国の問題である、ということであった。そこからさらに、東京の上空が不平等な日米軍基地協定の存在が根底にある、ということを実感してきた。本編では、これまで、ハイデガーの存在論を論じていた筆者が、生活的な問題に筆を伸ばすことは、大いに意を強くするところである。現在、コロナ対策で、航空路がガラ空きにもかかわらず、不必要な、新滑走方向を試しているという官僚の行い。これはまさに、二イチェのいう「畜群」という存在であることを、分かり安い事例として示したいものだ。

 

【「クラシック日本映画選―10-『用心棒』」石渡均】
 黒澤明と三船敏郎のコンビの傑作「用心棒」に関する製作者側の、特にカメラ撮影における技術と、効果的な画面編集の工夫を詳しく解説している。特筆したいのは、見どころの脚本の抜粋と、主役だけでなく、脇を固めたベテラン助演俳優たちの詳細が記されていることだ。仲代達矢が黒澤監督の注文の厳しさにうんざりしていたことや、三船敏郎の迫力のある立ち回りの秘密を明らかにする。また、助演たちの多くは亡くなっている。加藤大介、志村喬、河津清三郎、東野英治郎、藤原鎌足、渡辺篤、山茶花究、などなど。彼等が画面に登場すると、躍動間で雰囲気が盛り上がる。そして、原作を使ってマカロニ・ウエスタン「荒野の用心棒」ができ、クリント・イーストウッドという映画人を生み出した。とにかく読み応えのある解説である。ここには、記されていないが、黒沢監督作品では、脚本に橋本忍と、菊島隆三が絡んでいると、活劇として精彩を放つ。黒沢単独の脚本映画は形式美の追求で静かなものが多い。さらに「用心棒」の構成には、ハードボイルド作家、ダシル・ハメットの「血の収穫」に似ている。ハメットは、「血の収穫」の前に中編「新任保安官」を書きそれを長くしたのが「血の収穫」である。また、主人公の行動原理として、用心棒の「桑畑三、四十郎」は、ハメットの「ガラスの鍵」の主人公、ネド・ボーモントに似ている。ハメットファンをも納得させる映画である。
 その他、鈴木清美氏の写真は、ホームページからも鑑賞できるはずだ。

 

文芸同志会通信